最強軍師 名武将を支えた影の立役者をご紹介します!
2014年1月から放送されているNHK大河ドラマは“軍師官兵衛”。
(公式サイトURL:http://www1.nhk.or.jp/kanbe/)
黒田官兵衛の幼少期~豊臣秀吉の天下取りを“軍師”として支えた生涯を描いた物語だそうです。
“軍師”とは軍略・兵学に長け、大将を支える右腕として、軍の頭脳的な役割を果たす者のことをいいます。三国志では、蜀の名軍師・諸葛亮孔明が有名ですね。
今回は、日本の歴史上で有名な武将を影で支えた、“軍師”たちについてまとめてみました。
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山本 勘助
言わずと知れた武田信玄の軍師ですが、その実像は謎に包まれています。
若い頃は諸国を放浪しながら、兵法や武芸を習得しましたが、隻眼で片足が不自由だった事もあり、仕官先には恵まれませんでした。今川義元への仕官を断られて間も無く、武田家当主となったばかりの武田晴信(信玄)に登用されると、低い身分からメキメキと頭角を現し、武田家の領土拡大に大いに貢献しました。“川中島の合戦”で“啄木鳥の戦法”を助言するも、上杉謙信に見破られ、責任を負って上杉陣に切り込み壮絶な討死をしたのは有名な話です。
竹中 半兵衛
戦国時代を代表する軍師で、豊臣秀吉の下で黒田官兵衛と共に“両兵衛”“二兵衛”と称された有名な軍師です。
暴君 斎藤龍興に忠告する為、難攻不落の稲葉山城を十数名で乗っ取り“美濃に半兵衛あり”とその名を全国に轟かせました。
豊臣秀吉が家臣にしたいと考え“三顧の礼”を尽くして半兵衛を説得したとも言われています。
豊臣秀吉の天下取りに向けた数々の戦場において、効果的かつ巧みな戦術方法などで秀吉軍を勝利に導いたとされています。しかし、天下統一目前で若くして36歳の生涯を閉じました。
直江 兼続
上杉家の家老であり上杉謙信の精神や考え方を受け継いだ戦国時代の名家老といわれた人物です。
兜に“愛”というの文字を掲げている甲冑は特徴的です。
徳川家康に上洛拒否の弁明のために送った“直江状”は後世まで語り継がれることとなった書状です。
善政として治水事業の“直江石堤”や武士達には半士半農的な生活を奨励しました。前田慶次からも慕われていた人物です。
片倉 景綱
伊達政宗の家臣で“知の片倉景綱”と呼ばれるほどの軍師です。
政宗にとって景綱は信頼の厚い家臣である以前によき兄のような存在であったと思われます。
大事な戦には参加し伊達軍の危難を救っていて、小田原征伐に際しては豊臣秀吉方へ参陣するよう述べ、伊達政宗に小田原参陣を決意させました。
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いつの時代も、影の立役者として有能な“軍師”がいるのですね。
2014年の大河ドラマも目が離せませんね!
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